私たちの子ども時代を思い出してみましょう。どんな遊びをしていましたか?
川でサワガニを取った。友だちと塀によじ登っておしゃべりしてた。神社の裏でひみつ基地を作った。いろんな思い出がありますよね。
しかし、現代の子どもたちは、私たちの子どもの頃と同じように遊ぶことは難しくなっていると言われています。
子どもの減少や生活環境の変化に加え、行き過ぎた管理主義や責任問題なども原因として考えられるでしょう。
そんな中、子どもたちが自由にのびのび遊べる場所があると聞いたら、興味が出てきませんか?
それが、冒険遊び場やプレイパークと呼ばれる活動です。
冒険遊び場は、「子どもが自由に遊ぶために何ができるか」を考えて運営されている地域の中の遊び場です。
現代社会に馴染んだ大人が冒険遊び場に行くと、子どもたちのダイナミックな遊びに驚くことでしょう。
木登り、焚き火、泥遊び、それから名もない遊び……そこにいる子どもも大人も、ゆったりと時間を過ごし遊びを楽しんでいる姿を見ていると、こちらまでワクワクしてきます。
冒険遊び場では、多少の怪我やケンカは笑い飛ばされるでしょう。
擦り傷は挑戦した証です。
遊びのプログラムはないし教えてくれる先生もいないけど、子どもたちは色々な遊びを考え出します。
禁止の看板もなければ、「だめ」を連発する大人もいません。そ
こにいる大人たちは、「No」を言う前にどうしたら「Yes」と言ってあげられるかを考えてくれるからです*。
その一方で、本当に危険なものはよく検討して取り除かれています。
だから子どもたちは安心して、怒られることなんて気にせず、自分にとっての冒険にチャレンジできるし、何もしないことだってできる。
そしてそれこそが、遊びの本来の面白さであり、現代の子どもたちが普段の生活ではなかなか経験できなくなってしまった、遊びの本質であると思うのです。
私たち親や教師はつい、「何か良い教育的なこと」を子どもたちに与えるべきだと考えがちです。
学びのためのアクティビティーや体験プログラムは数多くあり、それ自体はとても有意義です。
しかしその一方で私たちは、子どもが自分で成長していく力を見逃してはいないでしょうか?
子どもたち自身の遊びは、大人の思惑でプログラムされた時間とは本質的に異なるものです。
誰かに与えられた時間ではなく、子どもたち自身が考え、感じ、やってみることのできる時間……それはもしかすると、大人から見たらなんの教育的要素もない無駄な時間に見えることもあるでしょう。
でも、彼らが夢中で木登りをするとき、ありの行列を眺めるとき、友だちと何もしない時間を過ごすとき、大人の意図では決して作り出せない豊かな時間がそこには流れます。
子どもたちが自分自身の心と体を目一杯働かせることができるからです。
そしてそれは時に、教育的にプログラムされた活動以上に、子どもの心と体が豊かに育っていく時間なのではないでしょうか。
なんでもかんでも目的を考えたくなるのは、大人の悪いくせかもしれません。
そんなときはぜひ冒険遊び場を訪ねてみてください。
思い切り遊ぶ子どもたちの輝く目を見ると、今その時を楽しく夢中になって過ごすことの大切さを実感できるはずです。
そして、それこそが「子ども時代」の豊かさなんだと、改めて気付かされるのです。
*冒険遊び場には、プレイワーカーと呼ばれるスタッフがいます。