子どもも大人も自分らしくふるまえて、休むことができているだろうか?

私は昨年度まで公立中学校の教員として働いていましたが、初任から3年目の春、心身の不調により、その年に約1年間の病休を経て、退職しました。

社会人になってからのはじめての大きな“休み”。

そこから見えた景色、感じた教育現場の課題をお話したいと思います。

過去最多、を記録した2021年

~5897人~ 

これは、2021年度に精神疾患を理由に休職した教員の人数の数です。

過去最多ということもあり、一時期ニュースやSNSでも話題となりました。

同業の者として、そして子を持つ親として、様々な立場・思いでこの数字を見られたのでは、と感じます。

発表されたのは2021年の12月。

自分もそんな5897分の1なのかと思うと、このニュースは、全国に同じような仲間がいるように感じつつも、なぜこんなにも休職者がでる現場となってしまったのかと、考えさせられるきっかけになりました。

加えて翌年の2022年11月には、昨年度の小・中学校の不登校が過去最多となったことの報道。

今、学校現場でなにが起きているのか?

自分は教員として働き続けられるのか?

我が子は安心して学校というところに行けるのか?

教員として、保護者として“学校”という場所にいろいろな思いを抱かざるを得ない昨今、私はこの“教員の病休”と“子どもの不登校”にある共通点を見つけました。

子どもも大人も休めている?

みなさんは日頃、休めていますか?

それは物理的にも、精神的にも休みとなっていますか?

“休み”というスケジュールが日常に組み込まれていますか?

教員時代、子どもたちの忙しさに驚いたことがあります。

とにかく学校から帰ってからの習い事の多さ!休日の習い事の多さ!

もちろん地域差や個人差はありますが、生徒が毎日提出する生活の記録などから、リラックスした時間があまりないという実態が見えてきました。

また、家庭訪問や個別面談の日取りをやりとりする中で、保護者から伝わってくる休みのなさ、多忙感。

大人も忙しく、休めていない日々。

日本の学校のカリキュラムは朝から夕方までぎっちりです。

中学生以上となると放課後は部活動で活動する人もいるため、学校という場所でほぼ1日過ごすことになります。

親も子も忙しい日々の中で、家庭でどれくらいコミュニケーションがとれているのでしょうか。

そんな自分も、子どもたちとゆっくり話したい、話を聞きたいと思いながらも、他の業務に追われ、歯がゆい思いをしていました。

子どもも大人も忙しい、そんな状況からゆとりなど生まれるわけもありません。

しかしこの“予定ギチギチ”“休めない”という背景には、学校教育も関係しているのではと思うようになりました。

学校現場での“休み”の扱い

みなさんは子どもの頃“休むこと”についてどのように捉えていましたか?

「学校休みたい、行きたくない。」そう親に伝えたとき、親からはどんな言葉が返ってきていましたか?

隣の席の子が欠席していたあの日、実は家族旅行に行っていたことを後日知ったとき、あなたはどんなことを思っていたでしょうか?

思い返せば、私が子どもの頃学校では“皆勤賞”というものがありました。

1年間1日も休まず登校した人、また卒業式前日は、小学校では6年間、中学校では3年間登校した人に贈られるあの“皆勤賞”。

子ども時代、表彰される壇上の同級生を見上げながら、すごいなあ、と思う反面、何日か休んだ自分はまだまだだなあ、と感じていたことを、今でも覚えています。

心身ともに健康に過ごせたことは、素晴らしいことです。

皆勤賞をとるぞ!と入学当初から意気込んでいた同級生もいました。

しかし、1年を通して1日休んだかどうかの有無で贈られる皆勤賞には、どこか“1日たりとも休んではいけない”“1日以上休んだら何者でもない”という裏メッセージを感じざるを得ず、教員をしていたときも、退職後の今でも“皆勤賞”の存在意義に関しては疑問のままです。

では、何が必要?

休暇への意識が世界最低レベルというデータも出るほど、日本人は「休めない・休まない」ことで有名です。

少しの風邪ぐらいなら休まない、休まず頑張り続けることが美徳とされがちな日本。

令和になり、パンデミックという世界規模の大きな動きもあって、そのような価値観は淘汰されつつも、依然として“休み”へのブロックが外れない世の中。

まずは、子ども時代から何かを継続することと同じくらい「意識的に休む」ということを、積極的に取り入れていく必要があると感じます。

休むことは、悪いことではない、そして心身ともに健康に継続して物事に取り組むためにも必要不可欠であることを知った子どもたちがつくる未来に、無理のない自分らしいライフスタイルを送れる社会が待っているように感じます。

また、社会的な休みの取りづらさの解消はもちろんのこと、教員に関してはとにかく業務量が多い。

そして年休をとるには、時間割の構成上全員出勤を前提に組んであるため、まずは時間割の調整、そして自習の準備をしなければならず、次の日からの出勤を考えると、休みをとることも一苦労で結果年休消化できないまま、また翌年も、の繰り返し。

もっともっと、社会が、そして学校が“休み”というものをポジティブなものとして、そして必要不可欠なものとして捉えられるようになったら、ずいぶん楽に、そしてゆとりのある生活が送れるのでは、と思います。

病休という名の休みを経験したことで・・・

社会人になってはじめて経験した病休。

病休に至った要因は、休みがない、休めなかった、だけではありませんが、忙しく、休みがない日々を過ごしていたのは言うまでもありません。

病休直前は、とにかく体調がおかしく、思考も、他人との会話もままならない状況でした。

しんどすぎるけど、休んだら迷惑がかかる、誰も代わりはいない・・・・

そんな中休みを決断できたのは、尊敬する同僚の先生からの言葉でした。

その先生は、過去に1週間年休をとり、休むことの必要性を感じたこと、そして休んだことによって、現場を俯瞰して見れるようになったと話してくださいました。

では、休めたから楽になれたかといえば、そうではありませんでした。

ここ何年かの様々な蓄積を取り除くには時間もかかり、つらく苦しい日々でしたが、勇気をだして病休をとったことで、本当に大事なものを失わずにすんだように感じます。

そして、休んだからこそ見えた景色や出会いもたくさんありました。

休めて、ゆとりができて、はじめて自分が自分に戻る時間ができる。

自分に戻ることができれば、無理のない自分らしい人生を送ることができる。

それは大人もこどもも同じ。

自分自身、休みというものを大事にしながら、もっと休みというものがポジティブなものとして世に浸透していくように、できることから行動していきたいと思います。

池田明貴範・SHIZUKU代表
最初に私は40歳男性、個人経営をしています。
また、わたしも幼少期は皆勤賞が素晴らしいと思い、頑張って取った内の一人です。
社会人になってからは9時-22時が当たり前で、24時を回ることも多く、徹夜もありました。
そんな中、2010年の東日本大震災をきっかけに私の世界は変わりました。
わたしは何のために働き、何をしたいのか?
入社から6年半、わたしはその会社を辞めました。
厚生労働省の資料より精神疾患の患者はH29には約390万人。
この推移で行けば現在は500万人です。
日本人の24人に1人が精神疾患をもっている異常事態。
教員の世界はもちろん、日本社会全体が疲弊しているから休める風土がなくなる。
延いてはそうしないと成り立たない経済構造が背景に透けて見えます。
この学校全体に広がる風土を変えるには誰かが相当の覚悟を捧げなければ変えられない。
それを変える覚悟が無ければ、逃げていい!変えていい!
会社に社会に守ってもらいたい心があれば辞められない!辞めないなら我慢も必要。
だから私は自営(自由と責任)を選びました。
選ぶのはあたな自身。
そして、その自由の世界は案外良いところ。
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