教育が世界を変えるって本気で思ってる

私、高村ミチカは、公立小学校教員を11年経験後、フリーランスライター・編集者として活動をしている。

小学校の先生になった時も、先生をしていた時も、先生を辞めた時も、全てに共通するある想いがある。

それは、「教育が世界を変える」ってこと。

世界を変えるのは総理大臣じゃない

私が小学校の先生になったわけ。

それは、

子どもが好きだから。

憧れの先生がいたから。

教えたいことがあったから。

ではなく…

世界を変えるのは総理大臣じゃない、教育だ。

と思ったから。

実は、自分が小学生だった頃、将来の夢は総理大臣になることだった。その時は、自分が誰よりも頭が良いと思い込んでいて、「私が世の中を変えてやるのだ」と息巻いていた。今思うとかなり恥ずかしいが、「より良い世界にしていきたい」という想いは本物だった。

中学、高校へと進学するうちに、自分が別に天才ではないこと、そして世の中を変えるのは総理大臣ではないことを悟った。

世界を変えるのは政治じゃない。

じゃぁ、一体何が必要なのか。

生き方の源流は子ども時代の教育にある

そんなことを考えている時、学校で企画されていた「カンボジアスタディツアー」に参加した。

かつてカンボジアを支配したポル・ポトを指導者とする急進的な共産主義勢力クメール・ルージュ。ポル・ポトは、知識が人々の間に格差をもたらすと考え、知識人の根絶を目指し虐殺を行った。その現場となったプノンペンのキリングフィールドやトゥールスレン博物館の見学をした。たくさんの犠牲者の写真と共に、武器を持って戦う子どもたちの写真が並べられていた。学校に行くことのできない子どもたちは、何の疑いもなく武器をもち戦いに向かっていったことを知った。

アンコールワットの周りには、たくさんの現地の子どもたちがいた。この子どもたちは、観光客を見るとわっと寄ってくる。物乞いをするために待ち構えているのだ。

現地の案内の人に「絶対にお金を渡してはいけない」と言われた。物乞いでお金を貰うことが習慣化してしまうと、勉強や仕事をせずに生活ができると考えてしまうからだ。本当は、その子たちがきちんとした教育を受けられる仕組みをつくっていくことが必要なんだと教えてもらった。

私は日本に帰って、改めて考えた。

世界をより良くするためには教育が必要だと。

生き方の源流は子ども時代にある。

どんな先生と出会い、

どんな仲間と出会い、

どんな学びをしてきたか。

その経験がその人の価値観の土台をつくる。

学校は知識をただ教えてもらう場所ではない。

一人ひとりの人生の土台をつくる場所なのだ。

だから、私は先生になった。

必要なのは、世界を変えられるかもしれないという兆し

5年生を担任した時のこと。総合的な学習の時間に、海のプラスチックごみの問題に取り組んだ。地域にある海辺の公園にごみが流れついていることを課題と感じた子どもたち。ごみをなくすためにはどうしたらよいか本気で考えた。

ごみ拾いの活動をしているNPO法人の方に「海のごみの約8割は川からやってくる」と教えてもらった。そこで、海のごみを減らすために、街のごみ拾いをはじめた。学校や地域のイベントで発信をしたり、駅で啓発活動を行ったりした。足をとめて話を聞いてくれる人もいれば、平気で気にせずごみを捨てる人もいる。ごみはなかなかなくならなかった。

ある日、いつものようにごみ拾い活動をしていたら、「私も一緒にいいですか」と近所の人が参加してくれた。子どもたちは、自分たちの活動が他者に影響していることに驚いたと同時に喜んでいた。少しずつ自分たちの思いが広がり、世の中を変えていくことができる、そのことを実感した瞬間だった。

みんなで知恵を出し合えば、良いアイデアが出るはず。

努力をしても最初はうまくいかないことだってある。

でも、きっと自分の行動一つで、世界をより良くしていける。

こういう耳ざわりの良い言葉が子どもたちの中で本物になるには、体験が必要だ。言葉として教えてもらうものじゃない。体験の中から自然と培われていくものなのだ。

世界を変えていけるかもしれない。

そんな希望を持った子どもたちが作る未来ってなんて楽しみなんだろう。

教育の可能性を改めて感じた瞬間だった。

学校の外側から教育に関わるという選択

先生になって11年目、私は適応障害の診断を受け、休職をした。子どもたちの実態に対応しきれず関係性を上手く築けなかったこと、中堅教員として任される業務が増えていつの間にかいっぱいいっぱいになっていたことで、体調を崩してしまったのがきっかけだった。

休職期間中、自分自身とじっくり向き合う中で、先生を目指していた頃の想いを思い出した。

「教育が世界を変えるんだ」

私がやりたかったことは、先生でなくても実現できるかもしれない。

先生になって大事にしていたこと。

子どもたちの体験を本物にすること。

学校の中で学びを閉じないこと。

それらは、学校の外側からでもアプローチできるのではないか。

だから、私は学校教育とは違う形で教育に関わろうと決断をした。

現在は、フリーランスのライター・編集者として活動をしている。教育に関する発信ができたらと思い始めた仕事だったが、今では教育に限らず広く「書く仕事」に関わっている。

それは、先生の仕事と書く仕事の共通点を見つけたから。

インタビューをした相手の魅力を引き出し最大化する過程は子どもの可能性を伸ばす感覚に似ているし、読みやすい文章を書くために読者に必要なファクトは何かを選び取る過程は、「どうやったら子どもたちに分かりやすく伝わるだろうか」と考えることと似ている。

教育の現場で培われた傾聴スキルや言語化スキルは、私のキャリアを描く上での大きな武器となっていたのだ。だから、私は書く仕事を続けている。

一方、教育のことも諦められない。書く仕事をする傍ら、先生のキャリア支援事業に携わったり、学校と企業をつなぐ仕組み作りを考えたりと、学校の外側から教育と関わっている。

教育は私のライフワークだ。

私は今でもやっぱり、教育が世界を変えるって本気で思っている。

さわろっく・教諭
「世界が変わる瞬間」というのは、想像以上に静かでささやかなものなのかもしれません。どんな大河もほんの一滴の雫から始まるように、きっとどれだけ大きな変化も、身近で小さな一歩から始まるものだと思います。本記事の中でご近所の方が「私も一緒にいいですか」と子どもたちに話しかけ、ごみ拾い活動に参加してくれた瞬間のように。“Think Globally, Act Locally.“という言葉が示すように、広い視野とほんの少しの行動力で、世界はきっと変えられる。そんなことを伝えられる教育でありたいと改めて本記事を通して強く考えさせられました。
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