私は、今年、公立中学校の教員として働いて10年目を迎えます。その中で宿題のあり方について感じたことをお話します。
宿題やってましたか?
子供の頃に、学校の先生から宿題出されてましたよね?
みなさん、しっかりやっていましたか?
私は、最低限やらなければいけないことはやっていましたが、それが自分の身になっているかどうかは二の次でした。
どちらかというと、面白いテレビ番組があるからそれまでに終わらせようとか、今週末は友達と遊びに出かけるから早めに終わらせておこうという気持ちの方が強かったように思います。
内容としては、漢字・英単語・基本的な計算の練習や、期限までに問題集を解き、マル付けをし間違った問題は赤ペンで直すといったものでした。
教員になってからも、同じような宿題の出し方をしていましたが、最近特に感じていることはタイトルにもあるように「宿題って、必要?」ということです。
多様化する宿題に対する考え方
前提として、私は『宿題は必要』だと考えています。
しかし、そのやり方や捉え方については考える必要があると思います。
今まで出会ってきた生徒のエピソードを踏まえて、今、私が考えていることについて述べていきたいと思います。
① 「宿題やったよ。」と言うが・・・
学期末に、成績表を受け取る三者面談があります。
その名の通り、生徒とその保護者、担任の三者で行われます。
私は、まず生徒がその学期を振り返ってどう思っているのか、自分で話す時間を設けています。
次に、担任から学校での様子を話し、保護者から家庭での様子を伺うという流れで進めています。
この中でたまにあるのが、「やったやった詐欺」の発覚です。
家で親から宿題をやるよう促され、子供は宿題が終わったと言います。
しかし、実際にはやっておらず教科担任から繰り返し指導を受けているという事実を保護者が知らされるということです。
それ以降、改善してくれればいいのですが、一向に改善せず、それどころか、テストが近くなってくると宿題が終わらないという理由で欠席する日が増えてしまいました。
最終的には、保護者と教科担任と学級担任で相談して本人が出せるよう宿題の量を調整するということで落ち着きました。
その後は、その生徒だけはこまめに私が声掛けをしチェックをしながら、未提出分が溜まってしまわないようにしていきましたが、そこまでの労力を割いても学力は実際には向上しませんでした。
何か原因があるのだろうなと思って、時間をおいてもう一度話をしてみたところ、授業中は先生や友達に教えてもらえば解ける問題がほとんどだけど、家に帰って一人でやるとできないのだそうです。
できないことをやれやれと言われたら、それは辛いに決まっています。
そこまで理解してやれなくて申し訳ないという気持ちと、他にもそういう生徒がいるかもしれないと考えるきっかけになった出来事でした。
② 「宿題をやる意味がわかりません。」
3年に1度くらいの割合でこれを訴えてくる生徒がいます。
きっと、心の中で思っている人も多いと思いますが、実際に口に出して訴える人数はそんなに多くありません。
その生徒の傾向として、私の感覚では、そこそこ点数を取れる生徒に多いと感じます。
説明するときには、「継続して家庭学習に取り組む習慣を身に付けるためだよ。」とか、「今の力をさらに向上させるためだからがんばろう。」と言います。
それを聞いて意味を見出せる生徒もいれば、そうでない生徒もいるのですが、個人的には、そこまで言って出さないのであれば仕方ないと思いますし、それ以上問い詰めることもしません。
保護者には「こういう話をお子さんとしたので、ご家庭でも話を聞いてあげて、気になることがあったらまた気軽にご連絡ください。」と伝えます。
やる必要があると感じる内容や、やってみたいと思わせるこちらの仕掛け方など工夫する余地がまだまだあるのではないかと考えさせられました。
理解していることをもう一回家でやれと言われたら、当然やる気がなくなります。
だったら、難易度をいくつか設けてその中から一つ選んで挑戦してみるという方法もあるかもしれません。
③ 「勉強って、面白いこともあるんですね。」
私の担当教科は国語です。
毎回、新しい読み物に入る前には、その文章の作者について、教科書や資料集、インターネットを使って調べてくるということを宿題として出しています。
中でも『走れメロス』をやったときには、有名な文豪ということもあって太宰治についてたくさんのことを調べる生徒が多かったです。
たまに、こちらが知らないようなことも調べてくるからドキッとしたこともあります。
その日の放課後、教室で生徒二人が会話していました。
内容は『人間失格』のように薬物中毒だったり、自殺未遂を何度もしたりしたような太宰治がなぜ『走れメロス』のような明るい話を書いたのかというものでした。
授業の中で、こちらから投げかけるような問いをすでに生徒自身で立てていたのです。
そのあと、その場にいて戸締りを確認しながらそっと聞き耳を立てていた私に話しかけてきました。
「先生、勉強って面白いこともあるんですね。私、勉強はずっと苦しむものだと思っていたけど、こういう勉強だったら週に何時間やってもいい。」
正直、複雑な気持ちでした。
自分が出した宿題をきっかけに勉強が面白いと感じてくれたことにはすごく喜ばしい気持ちでした。
しかし、それまで勉強はずっと苦しむものだと感じさせてしまっていたんだなと思うと、まだまだこれから自分自身も勉強していかないといけないという気持ちになりました。
今求められていること
3つの事例を挙げて話をしてきましたが、教員も保護者も今までの宿題に対するイメージを変えていくことが必要です。
みんな一律で決められた課題を決められた分だけやる。
出さないのは悪だと決めつける。
そういう今までの固定概念をまず大人が変えていかなければいけないのではないでしょうか。
教員の中でも、放課後に残して無理やりにでも宿題を終わらせるべきだと考える人がいることも事実です。
同様に、保護者の立場としても、学校の宿題で先生がやると言ったことは何が何でもやるべきだと考える方もいるでしょう。
しかし、宿題の目的は何なのか。
自分のどんな力を高めるためにやっているのか。そのために、今の方法でいいのか。ということを見直す必要があります。
学力の定着をはかるために単元テストがあれば、その単元の復習をする。
興味関心を深めるために、授業でさらに興味が湧いたことについて調べて次の授業の冒頭でみんなに紹介する。など生徒が「やってみたい」「考えてみたい」と思える形が理想だと考えます。
以前のSwimmyの記事にもあった、「子どもの学ぶ力を信じる」ことにも繋がることでしょう。
そのためには、まず私たち大人が変わる必要があるのではないでしょうか。