なぜ学校はなかなか変われないのか?

それ、ちゃんとうまくいくの?

誰かがなにか新しいことをやりたい!って言い出した時、みなさんならどう反応しますか?

比較的小規模のグループで、あなたと馬の合う人の提案なら、「面白そうだね!」と応援したくなるかもしれません。

でも、ちょっとグループの規模が大きくなって、しかも自分とそんなに反りの合わない人の提案だったらどうでしょう?

「それ、本当に大丈夫?」という疑念の気持ちがわいてくることもあるかもしれません。

こんな気持ちの時にあなたならどんな言葉で反応するでしょう?

私がこれまで、学校の職員会の中のやりとりを見ていて、こんな場面でよく耳にする言葉があります。

それが、「教育効果をきちんと検証してください」というフレーズです。

要するに、「ちゃんと、うまくいくということを示してよね」ということです。

これってすごく論理的な言葉に聞こえませんか?

でも私はこの言葉を聞くたびに心の中でモヤモヤとしたものを感じています。

今日は、このフレーズの奥に潜むものをもう少し深掘りしてみたいと思います。

自分が見たいように物事を見てしまう!?

ある友人の教員が、指導主事から「教育効果の検証してください」という圧力を強く感じてしんどいという話をしていました。

その教員は、アンケートをとったり、テストの点数をみたり、アンケートも数値で測るものから、コメント式のものまで色々やったそうです。

でもやればやるほど、これを厳密にやるのって無理じゃないのか。

データの数字って恣意的に作れちゃう部分があるんじゃないのか。

そんな思いが強くなってきたそうです。私も自分の職場で教育効果の検証を求められた時に、同じようなことを思ってモヤモヤしていたのですが、ある時ふと気が付きました。

「私は何らかのデータ(数字)とにらめっこして、効果が『ある』、『ない』を導き出すものだと思っていたけれど、それって常にデータのどの部分を抜き出すかによって結論が変わってくるもんじゃないか!?」

これってつまり、検証結果を見る相手(効果はどうなんですか?検証してくださいと言っている側)にとって、私の出したデータでは説得力がありませんといえてしまうことを意味します。

なぜならデータには「解釈」の余地があるからです。

例えば、ある取り組みをした結果、テストの平均点が5点あがったとします。

5点上がったのは事実。でもこれって十分な効果なのでしょうか?

5点上がったのが十分だったかどうかは実は解釈の問題となります。

つまり、どちらともいえるということです。この用意したデータを用いて私は相手に効果があったことを立証したいわけですが、このデータが相手の納得につながるかどうかは微妙です。

人間って自分が見たいように物事を見ます。

同じデータを見ているはずなのに極論どうとでも言えてしまう。

私たちは何を作り出したいのか?

そもそも効果検証って何のために行うのでしょうか。

それは意思決定のためですよね。でも検証には先ほど話したように解釈の余地という落とし穴があります。

そして解釈のさらに奥には価値観があります。

私たちはそれぞれある価値観の上に立って解釈をしているわけです。

ここが曖昧になるから行き詰ったことがありました。

中2Aホーム、中2Bホームといったホーム単位で行う授業と、アドバンストクラス、ベーシッククラスといった習熟度別で行う授業ってどっちが効果があるんだろうという話になり、実際に両方同じグループで試してみたことがありました。

その結果、以下のような特徴が見られました。

  1. ホーム単位で行うと、テストの点数が真ん中に集まった。
  2. 習熟度別では、高得点の生徒が増えた一方で、低い点数をとる生徒も増えた。

つまり、ホーム単位の授業は成績の下位の生徒に優しいが、上位の生徒は伸び悩む可能性がある。

一方、習熟度別の授業にすると、上位の生徒は伸びやすいが、下位の生徒が伸び悩むということがわかったわけです。

さて、ここまでの結果を見て、あなたならどちらの形態を選びますか?意思決定できますか?

ここには、一つ抜けている議論があります。

それは何を良い状態とするか?という合意です。

だからこの時、結局話はこの先にはうまく進みませんでした。

効果の検証と向き合い、意思決定をしていくためには、実は数字とにらめっこしているだけでは先に進みません。

奥にある価値観まで対話によって掘り下げていく必要があります。

  • 自分たちは何を作り出したいのか?
  • 自分たちが捉われているものは何なのか?
  • こだわりたい部分はどこなのか?

ここをすり合わせていくプロセスなしには、結局時間とエネルギーをつくってデータを整えてみても何のアクションにもつながらない無駄骨に終わってしまうかもしれません。

学校の中がなかなか変わらない裏側にはこんな事情もあるのかもしれません。

だとしたら、まずは関わる大人一人ひとりが何を大切にしたいのか?を言葉にしてみることから始めるのが遠回りなようで近道なのかもしれないと思いますがいかがでしょうか。

吉崎花・英語講師
この記事を読み、まず一保護者の立場から教員の皆様が多忙な中、データを取り検証をし、議論なさっていることに驚きました。そして、「こうしていきたい」「こうありたい」という共通認識がなければ、いくら数字とにらめっこをしても学校は変わらない、という意見に共感しました。仮に変えることが面倒、という想いが誰かにあれば、反対意見が出てくるのは自然なことなので、事前に目的・目標を擦り合わせておくことは必要だと思います。
また、校内でのデータはもちろんですが、全国的・世界的データも考慮することで、日本の子供たち全体の将来にもつながるのでは、と感じました。

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