「パパが会長で嬉しい」と言ってくれた2年間 Vol.1

〜PTA会長、引き受けるの巻〜

「1年経ったら出来るって仰いましたよね」
「えっ!?」

そんな電話での会話が交わされたのは、2013年の年明け早々、3学期が始まる頃。

確か、自分の記憶では

「自分の会社まだまだバタついてるんで、1年は無理です」

と、事実上のお断りを申し上げたつもりだった。

2012年の年明け早々、PTAの役員をされている女性から会長への打診をいただいた。

そこできっぱりお断りの文句を申し上げれば良かったのに、ついつい柔らか目に忖度したばっかりに、大きな誤解を生んでしまっていた・・・。

女性の一方的な記憶の解釈の恐ろしさを垣間見た気がした。

その方とは、同じ歳で子どもも同級生だった。しかも2人とも。

上の長女がブラスバンド部に在籍している時、楽器運びに駆り出されていて、そこで慣れない女子主導の空気に戸惑いながらも、休日をフルに差し出して朝のトラックへの積み込み、現地での搬入搬出、帰りの積み込み、学校での音楽室までの運び込みを行なっていた。

音楽室が3階だったので、300万円のティンパニを運ぶときは少なからず緊張したし、最重量の鉄琴は子供では厳しかった。

長女が5年生の3学期の頃に、幹部の方達から呼び出されて

「お父さん、お嬢さんが部長になられるということなので、保護者会の会長をお願いしますね。ここではそう決まってますから」
「えっ!?」

突然に言われて戸惑ってると

「実際、会長に男の方になっていただきたいんですよ。女性ばかりだとすぐに揉めるんで。居座ってくれるだけでいいんです。細々としたことは私たちがやりますから」

押し切られる形で引き受けたものの、月毎の保護者会の司会は自分の役だった。

自社でも会議の司会役を代表者でありながらやっていたが、それとはプレッシャーのかかる種類と重さが違う。

毎月、帰宅するとバタッと床に伏せてしばらく動けなかった。

ブレーンストーミングのファシリテーションは経営者団体でもよくやってたので、その手法を持ち込んでみんなの意見が出やすいようなやり方にすると、想像以上に評判が良かった。

本当に揉めてたのかな?と思うぐらいに平穏無事に過ぎていった。

そして1年間の保護者会会長を無事に勤め上げ、長女も卒業し、それから10ヶ月が経った頃に、その保護者会の幹部だった方が、PTAでも役持ちだったがために、1回目の電話がかかってきた。

実際に前年の10月、というと3ヶ月ほど前に、自社に於いて創業以来40年以上も会社の大黒柱だった父と母が、妹の懐妊をきっかけに妹も合わせて3人が退職したばかりで、代表者交代後の最大の危機を迎えていた。

毎日3時間以上かけて、現金計算を合わせて仕入れ先の支払い準備をし、給与計算をしたり保険の手続き等々を昼間の営業を終えてからやっていたので、現実的に不可能だった。

今思い返しても、よくこの時期にこれだけの業務ができてきたなと思う。

それもこれも、2年後に交通事故で急逝する母の未来からの虫の声だったのかもしれない。

正直、2年苦しいながらもやり切ってきたので、会社の事務系で困ることは一切なかった。

あれが、以前のまま全部任せていたら、1年以内に会社を畳んでいたと確信する。

お断り(のつもりだった)を入れてちょうど1年後、同じ方から電話をいただいた。

なぜか判らないが、断らなかった。というより断れなかったの方が正しいと思う。

この1年間の間に、「そう言えば・・・」の事例をいくつも思い出していた。

自分の小学生時代、様々な形で学校に迷惑をかけまくった事。

でもそんな自分でも、真っ当に教育してくれた事(^_^;)。

そして、遺伝子のなせる業か、長男も学校に迷惑をかける子供だった事。

いつか罪滅ぼしをしなくてはと、その頃からずっと考えていた事。

取って付けたようについでに言うと、妻も現役の小学校教員(笑)。

そんな思いが大きくなり、ついに何も関わったことのない1ミリも触れたことの無い世界へ、恐る恐る足を踏み入れることとなった。

〜少しは役に立ち始める(?)の巻〜

5月のPTA総会を経て、ついに本物のPTA会長になってしまった(;^_^A。

もう後には引けない。それにしてもありがたかったのが、副会長さんたちの存在とサポートだ。

と言うより、事実上の実務はほぼ3名の副会長さんたちがソツ無く片付けてくれるので、毎回の役員さんたちが集まる会議でも、冒頭のあいさつを申し上げれば、流れに乗って自動的にゴールに辿り着ける仕組みになっていた。

聞くと、本部役員さんは3年任期制で、軽めの役から始めて3年目に副会長さんをしてから終了というシステムだったので、何を聞いても知っている方達ばかりだった。

なので会長になって初年度の、恒例・夏祭りの段取りもこれまでの経験が豊富な方達の手によって滞りなく進められ、僕個人の主な役目は祭り開始の鐘(福引きの当たりの時に鳴らすやつ)を、かけ声とともに響かせるだけだった。

夏休みが何事もなく終わったが、9月の役員集会の際に、来られた役員さんを経由してこういうクレームが飛び込んできた。

「グラウンドのすぐ横に住んでいる方から、プールの水を抜いて掃除をする時に、毎年必ず道路が水浸しになるから、何とかして下さいと言われています」

一瞬何のことか解らなかったが、プールの水を一気に流すと放流先の側溝でその容量を受け切れずに、道路までダバダバと溢れてしまうとの事だった。

校庭からの落ち葉が原因で流れが悪くなったという大方の認識なので、全保護者に呼びかけて溝掃除をしようという事になった。

溝掃除と言っても、横にあるのは市道である。

そこを使わないと作業が出来ないとなると、警察署の方で道路使用許可が必要になってくる。

そんな話をすると、全員の瞳がこっちを向いて、

「そうしたら、会長さんがそのナントカ許可を取ってきてくれるんですね!」

となり、一度2年前に取った記憶を思い出しながら、仕事の合間に申請書提出と許可後の受け取りの2度ほど、あまり足が向かない警察署に出向くことになった。

段取りはそれだけで終わらない。

幅43cm、長さ50cm、厚さ10cmのコンクリート製の、いわゆる側溝蓋を全部持ち上げて外さないと溝掃除にならないので、それを挟んで両側を2人で上げる専用の工具も必要だ。

自分の会社から1台と、知り合いの会社から2台借りて何とか間に合わせた。

当日は、30人前後の保護者さんが集まってくれた。

自分は自社の2tダンプカーのダッシュボードに道路使用許可証を乗せて、溝から出てくる腐葉土(ほとんどドブ)を荷台に受けながらまとめて、グラウンドの一角に掘った穴に放り込んだ。

これで一安心、と思いきや翌年、またしてもプールの水が吹き出してきたという報告を受けて、全身の力が抜けた。

何か、見逃してしまっていた決定的な原因があるに違いない、と思いつつ前年同様に許可証を取ってダンプカーで現地に向かった。

が、前年度と違っていたのは前日に飲み過ぎてしまった事だ。

寝過ごしてしまい、それでもどうにかギリギリで間に合ったのはいいが、気がつくと短パンにビーチサンダルという、作業ナメてんのか的なスタイルで現場に来ていた・・・。

冒頭のあいさつで、ウケるかなと思いながら

「皆さん、手元足元に注意しながら、作業を行なって下さいね」

と言うと、想像以上の爆笑を引き起こした(^^;。

前年から仲良くしてくれていた教頭先生は、その時の決定的な証拠写真を、卒業式の思い出のスライドにわざわざ組み込んでくれたぐらいだ。

作業は2年目だけに前回よりも捗って、同じようにキレイになったけど、これではまた来年も同じことの繰り返しか!?とみんなが途方に暮れていたら、

「ありました!これです、これです!!」

という体育会系のお父さんからの嬉しい声が響き渡った。

みんなが覗き込んだ側溝蓋の無い暗渠部分に、50cmほど奥から直径6〜7cmの排水パイプが飛び出して、L字に曲げて上流方向へ1mほど居座っていた。

「犯人はコイツや」という確信のもと、体育会系パパが溝さらえ道具をパイプに引っ掛けて、渾身の力で引っ張った。

バキッという音と共に歓声が上がった!

そのパイプに落ち葉が引っかかって流れを詰まらせ、プールからの大量排水に側溝が流し切れなかったという状況だった。

翌年からは、クレームの来ない平和な夏が始まった。

お役に立てて、良かった。めでたし、めでたし(´∀`)。

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